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東京高等裁判所 昭和63年(う)622号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡崎敬、同大西啓介連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官野上益男名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意第一点について

弁護人の所論は、要するに、死刑は、刑罰により達成せんとする目的を越えて不必要で計りようのない苦痛や害悪を与えるものであり、憲法三六条の禁ずる残虐な刑罰に当たることは明らかであって、こうした解釈は、憲法の規定する基本的人権、個人の尊厳の尊重という憲法全体を貫く原則とも合致する。憲法一三条ただし書は公共の福祉の名のもとに死刑を正当化するものではなく、また、残虐な刑罰の禁止や個人の尊厳は憲法三一条に優先すべきものであるから、同条項も死刑を積極的に根拠づけるものではなく、なお、最高裁判所は死刑一般が違憲とはいえないとしてはいるが(昭和二三年三月一二日大法廷判決)、同時に死刑は残虐な刑罰となる時代も到来することがありうる旨言及している右判決の補充意見も存在するのであって、今や将来の問題としてではなく、現時点において死刑は違憲とされるべきであり、したがって、刑法一九九条(平成七年法律第九一号による改正前のもの。以下同じ)にかかる死刑の規定は当然排除されたものと解すべきであるから、同条を適用して被告人に死刑を言い渡した原判決には法令の解釈を誤った違法がある、というのである。

これに対する検察官の答弁は、死刑は憲法三六条にいう残虐な刑罰に当たらない、というのである。

そこで、検討すると、憲法一三条によれば、人の生命等に対する国民の権利は、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とするが、それは決して無制限なものではなく、公共の福祉に反しないことが前提とされている。そして、憲法三一条が、何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命等を奪われない旨を規定しており、法律において死刑を定めることを是認しているのであるから、死刑それ自体が不必要に苦痛を与えるものとして一般的に憲法三六条にいう残虐な刑罰としていないものと解されるのである。弁護人は、死刑が憲法違反であるとしてるる主張するが、採用できない。刑法一九九条を適用した原判決の法令解釈に誤りは認められないから、論旨は理由がない。

第二  控訴趣意第二点について

弁護人の所論は、原判決は、判示第一ないし第三の事実の認定のための証拠として、被告人の検察官に対する供述調書等及び同人の昭和五七年六月二三日付け上申書(原審乙一ないし四二、以下、「検察官の供述調書等」という)を証拠として採用しているが、右検察官の供述調書等は、被告人の取調べに当った警察官による暴行、脅迫の結果得られ、あるいは、暴行、脅迫を用いた警察官の取調べと密接不可分な取調べの結果録取されたもので任意性がなく、また、違法な別件逮捕、勾留を利用した取調べの結果得られたものであり、いずれにせよ証拠能力を欠くものであり、これを証拠として採用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きの法令違反(弁護人は法令適用の誤りという)及び事実誤認がある、というのである。これに対する検察官の答弁は検察官の供述調書等に任意性はある、というものである。

一 検察官の供述調書等の任意性について

弁護人は、被告人が取調べ警察官から暴行、脅迫を受けたことは、被告人が原審第四四回公判で詳細に供述しているところから明らかであり、原裁判所の採用した被告人の前記上申書は、右暴行、脅迫の結果得られたものであるし、その他の検察官の供述調書等も、そのような警察官の取調べと平行ないしはそれを基礎にして作成されたものであって、いずれも任意の供述を記載した書面とはいえず、証拠能力を認めることができない旨主張する。

そこで以下に検討を加える。

1 被告人の原審第四四回公判における供述主張について

まず、被告人の右趣旨の供述についてみると、

(一)  被告人は、原審第二回及び四四回公判、とりわけ第四四回公判において、弁護人所論のように、概要、次のような供述をしている。すなわち、別件の脅迫事件で逮捕された昭和五七年六月一四日当日から、取調べ警察官らから乙川事件はおまえがやったのはわかっているんだ白状しろ、丙山も甲野もやったろうとビンタ等の暴行を受け、六月一六日の勾留後にはポリグラフ検査を拒否すると膝蹴り等ボコボコやられたりし、とりわけ六月二一日に取調べ警察官が増員されてからは(証拠上は二二日である)、本格的な拷問が始まり、顔をビンタされ、キョウカンゴウメイで訴えるなどといっても無視して顔を叩かれ、壁に頭を打ちつける等の暴行を受け、はては身体を押えられ、タオルで首をしめるなどの暴力的取調べが激しくなり、食事につばをかけられるなどして食事もとれず、そのため耐え切れず自白した、などと言う。

(二)  しかしながら、被告人は、その供述の中で、当初調べを受けた警察官として、A班長、B刑事、C刑事といった名を挙げ、六月二一日には応援のD班長、E班長、F隊長が加わったとして、暴行を加えた警察官として、これら六名の名を名指しているが、この顔ぶれにやや疑問があるばかりか(証拠上は、当初はA及びBの両名とCであり、これにG、D、Hの三名が応援)、このうちF隊長に当たると思われるFは総括捜査主任官であり、Cは藤沢警察署員で雑務担当であって、いずれも取調べに当たる立場になかったことが認められる。

(三)  また、被告人は、その言によれば逮捕当初から相当の暴行を受けたというのに、直後の六月一六日に行われた裁判官による勾留質問の際や、六月二一日同じ裁判官による取調べ状況についての質問を受けた際にも、そのようなことは全く述べておらず、さらには六月二六日以降は、検察官の取調べを受け、とりわけ同日には警察の取調べにおいて乙川事件を自白するに至った心境などを聞かれて述べているにかかわらず、取調べ検察官に対して、右のようなことを窺わせる供述をした形跡が認められない。

(四)  その上、被告人は、六月二六日から同年九月九日までの長期にわたる検察官の調べに対して、本件殺人事件について詳細に供述をし、多数の調書が作成されているが、この間に警察の調べにも応じていて、六月二五日、二六日、二八日、三〇日、七月六日、一二日、一三日、一四日と調書が作成され、また、実況見分にも何度か立会していることが認められる。

(五)  また、公判審理においては、原審における前記の供述以外は、当審における被告人質問の際も、このことを訴えていないだけでなく、本件審理の過程で何度か行われた鑑定の際等にも、やはり訴えた様子がないことが認められる。

2 検察官の供述調書等が作成された経緯及びその状況

そこで、自白のなされた経緯等をみてみると、

(一)  関係証拠によると、昭和五六年一〇月六日横浜市において原判示第一の甲野太郎殺害事件が発生し、続いて翌昭和五七年五月二七日藤沢市において原判示第二の乙川花子ら三名殺害事件が発生し、次いで同年六月五日尼崎市において原判示第三の丙山次郎殺害事件が発生したが、警察の捜査当局は、右甲野、乙川一家、丙山ら全てと交際があり、乙川一家の事件後から所在不明となっていた被告人を重要参考人として行方を追及していたところ、甲野殺害の口止めを図ろうとする別件脅迫事件が判明したため、六月一四日被告人を右脅迫事件の容疑で通常逮捕し、引き続き勾留して、以降、当該脅迫事件の取調べと併せて、動機面において関連することから、前記各殺害事件についても取調べを行ったことが認められる。

そして、その結果、六月二三日に至って事実を認める自供を始め、以降、本件検察官の供述調書等が作成されたことが認められる。

(二)  その取調べ及び六月二三日に至って事実を認める自供をするに至った状況について、当時の警察捜査官らは、大要、次のように証言供述している。すなわち、脅迫容疑で逮捕後、当初は、神奈川県警察本部の捜査員であるA及びBの両名が直接の調べを担当し、捜査本部の置かれた藤沢警察署員のCが雑用連絡係を務めて被告人の取調べに当たったが、被告人は、殺人に関係する取調べに対しては、否認をし、アリバイとして言う行動について、その裏を取ると全くでたらめであったというような状況があり、追及すると、壁に頭を打ちつけたり、立ち上がったりと相当な動揺を示し、また、取調べの途中では、電線マンの歌などを歌ったり、大声を出したりする振舞いもみせた。ただ、自白に至らなかったため、性格が合わないかとの警察上層部の判断から、取調べ担当者として県警本部からG及びDが、これら取調べ担当者の調整役として同じくHが、応援として加わることとなり、六月二二日からは、同人らが加わって、被告人の取調べが行われた。しかし、翌二三日午後に、丙山事件を捜査していた兵庫県警から、丙山事件の現場足跡が被告人の靴のそれと一致する情報があって、A、Bがこうしたことを被告人にぶつけるとショックを受けた様子を示し、またその日の夕方、被告人の母親が、乙川事件の当夜、被告人が傷を負って帰ってきて手当てをしてやったが、その際母親と娘二人を殺してきたと言っていたと述べたとの情報があり、こうした情報をベースに被告人を説得したところ、同日犯行を認めるに至り、自筆の上申書(乙一)を作成した、というのである。

そして、被告人に対して矛盾があれば厳しく追及したことはあったが、暴行を加えるなどの拷問的取調べをした点については、口を揃えて否定する。

(三)  そこで、右自白のきっかけとなったされる事柄についてみると、丙山事件の現場足跡について、正式な鑑別結果報告書は、後日作成されているが、六月二〇日には、兵庫県警鑑識課の係官が乙川事件等を担当する神奈川県警を訪れて足跡対照を実施しており、六月二二日には、その結果を記載した捜査復命書を作成して兵庫県警察本部に報告していて、神奈川県警の本件捜査本部に伝えられた可能性のあることが認められる。

また、証拠上、被告人の母親は、乙川事件直後に、帰宅した被告人から犯行を打ち明けられ、その際に負った怪我の手当てをしてやっていると認められるところ、右二三日当時は、母親は、そのこと自体は、警察に対して、はっきりとは打ち明けてはいないようである。しかし、乙川事件の当夜怪我をして帰り、手当てをしてやった状況等については述べていて、最後に、事件については正直に話すように本人に伝えて欲しいなどと、全体としては、これが被告人の犯行であることを示唆するかのような供述を、捜査官にしていることがその調書上から認められる。

(四)  そして、当時の捜査の進捗状況をみると、乙川事件については、被告人のその頃の行動についてはもとより、とりわけ被害者のうち花子につきまとっていた男が被告人であることが、同女の日記帳やメモの分析と、花子の父である乙川一郎による写真面割りから判明していたばかりか、さらに、現場において採取された血液型については、ABO式のみならず、MN式、G式の鑑定が進められていて、捜査はかなり進展していたことが認められる。

(五)  また、本事件の捜査に関しては、マスコミの関心を集めていたばかりでなく、検察庁も重大な関心を寄せ、早期から検察官が直接調べに当たり、警察の調べに対しても、自白の任意性の確保等について関心を払い、注意を与えていたことが認められる。

3 検察官の供述調書等の任意性

そこで、検察官の供述調書等の任意性について検討すると、

(一)  まず、被告人の原審第四四回公判などにおける、取調べ警察官から暴行、脅迫を受けたする供述は、前記1においてみたとおり、その警察官の顔ぶれについて、やや首をかしげざるをえない誤りがあって、内容的に客観的事実に相違する点があるばかりか、勾留裁判官を初め、直後に取調べをした検察官やはたまた当審審理の際や鑑定人に対してなど、仮にそのようなことがあったとすれば、訴える機会が数多くあったにかかわらず、まったく訴えておらず、いわば一過性の訴えに過ぎない点で、まず根本的な疑問を持たざるをえない。

また、その述べる内容も、具体性に富むともいえる反面、強調するためか、同じパターンの訴えが目につき、キョウカンゴウメイ等といった意味不明な言葉や、取調べ警察官が食事につばをかけた等といった信じがたい内容を含む上、被告人は、原審第七、八回公判において、拘置所職員についてオーバーな訴えをした事実があることを勘案すると、弁護人が主張するように、こうした被告人の供述のみから、暴力的取調べがあったことが明らかであると認定することは困難であるというべきである。

(二)  これに対し、警察の捜査関係者は、暴力的取調べの事実を一致して否定するところ、

(1)  被告人は、少年時代から窃盗などの非行を繰り返して警察に検挙され、二度にわたって少年院に収容された経歴がある。加えて、かねてより六法全書を読んだり、少年院仲間の丙山から知識を得たり、刑事物のテレビ番組に関心を持ち、黙秘権があることや警察官が取調べで暴行等をすることが許されないことを知っており、殺人事件についての追及をかわすため、取調べ中に、歌を歌うなどあえて挑発的態度にでていたのではないかと思われる。

(2)  こうした被告人の態度は、捜査官にとって、被告人に対する犯行の嫌疑を強め、被告人を厳しく追及したことは想像に難くないが、他方、被告人のようなタイプの被疑者に、暴行、脅迫が有効でないことは捜査官もよく心得ていたことが窺える上、被告人の取調べ以外の捜査も相当程度進展していて、自白を無理に、しかも被告人が言うように取調べに当たった警察官が総出で暴行等を加えて無理やり獲得しなければならないようなせっぱ詰まった状況にあったか極めて疑問である。

(3)  そこで、捜査官が述べるように、アリバイを追及し、供述の矛盾をつき、状況証拠を突きつけるなどして厳しく追及したことは当然であろうし、また、被告人の心情に訴える調べもしたと思われるが、結局、丙山事件現場足跡という言い抜けしがたい証拠と、母親からは、正直に話せという言葉を伝え聞いて、母親に対しては、直後に乙川事件について犯行を打ち明けるほどの信頼と愛情を抱いていたこともあって、自白するに至ったものというのが真相に近いと思われる。

だからこそ、六月二三日に上申書を作成して以降は素直に取調べに応じ、六月二五日付を始めとして計八通の調書が作成され、平行して検察官の取調べに対し、本件の検察官調書等が作成されたものと認められる。

(4)  なお、自白の経緯については、新聞報道とやや齟齬する点があるが、新聞報道自体各紙により違いがあり、捜査中の事件の微妙な問題のある事柄について、どの程度正確に報道されているか疑問である。

また、自白を始めたその翌日、取調室で貧血などで倒れているようであるが、あれほど警察を挑発して追及を逃れようとしていたのに、自白に追い込まれたショックとそれまでの心身の疲労が出たとみることも可能であり(その後、精神に異常をきたしてもいる)、上記判断を左右する事情とはならないものと思料される。

(三)  ところで、問題の本件検察官の供述調書等の内容をみると、その内容は、犯人にしか語れない具体性に富み、裏付けも十分であって、信用性には全く問題がないことが認められる。また、中には、自白の動機(乙三)や偽らざる心境を述べたもの(乙二〇)などが存在するのであって、このことは、こうした供述・自白が、拷問・強制によるものでないことを示す証左の一つであると思われる。

(四)  以上を総合勘案すると、被告人の前記公判供述が、それが正常な精神状態におけるものであったとしても、暴力的取調べなどしていないと一致して述べる警察官の供述を排斥するには足りず、ましてや、信用性のある本件検察官の供述調書等における自白の任意性には全く問題がないものと判断される。

二  別件逮捕、勾留中の取調べについて

弁護人は、本件検察官の供述調書等は、別件の強迫事件の逮捕、勾留を利用した取調べの結果なされた自白をもとに得られたものであるから、証拠能力がない旨主張する。

しかしながら、当該脅迫事件は、甲野殺害の口止めを図ろうとするもので、それ自体が逮捕勾留の理由及び必要性の認められるものである上、当該事件についての調べがなされていることは、被告人につき昭和五七年六月二一日に勾留裁判官によって実施された被告人に対する質問調書上も明らかである。そして、本件の殺人事件は、原因、動機として関連するものであって、この間になされた自白が基になって本件検察官の供述調書等が作成されたとしても、所論のように別件逮捕、勾留を利用して得られた不等なものとはいえない。

第三  控訴趣意第三点について

弁護人の所論は、要するに、原判示第一ないし第三の各殺人の行為に関して、被告人は、その異常な精神状態のために、各行為時において、人をくり小刀、文化包丁、刺身包丁等で刺突する行為とその結果の是非を弁別し、それに従って行動する能力を欠如しており、心神喪失の状態にあったし、仮にそうでないとしても、これが著しく減退した心神耗弱の状態にあったから、これらの事実につき、無罪、若しくは、その刑を減軽されるべきであるから、この点を看過した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり、また、原裁判所で取り調べられた証拠を総合判断すると、被告人は各犯行当時心神喪失ないし心神耗弱にあることが十分疑われるのであるから、原裁判所には各犯行当時における被告人の責任能力について精神鑑定を行うなどして十分に審理を尽くすべき法律上の義務があるのに、これをせずに責任能力を肯定しているから、原判決には、判決に影響することが明らかな審理不尽による訴訟手続の法令違反がある、というのである。

これに対する検察官の答弁は、被告人の責任能力を認めた原判決の認定は正当であり、精神鑑定をしなかった原審の措置は合理的な裁量の範囲を逸脱したものではない、というのである。

そこで、原審記録並びに当審事実取調べの結果を参酌して検討すると、被告人は、幼少時から問題行動を多発し、集団生活のルールが守れず、中学校卒業後も、転職を繰り返す中で勤労意欲を喪い、窃盗等の非行を頻発しており、この間、両親はもとより、学校関係者や二度にわたる少年院入院期間を含めた矯正関係諸者から長期間にわたり指導、監督、訓練等を受けながら、社会性を身につけ、更正に務めようとの意欲はなく、却って悪いことをして太く短く人生を送り、社会をあっといわせるようなどでかい悪いことをしでかしてやろうなどとの反社会的感情を醸成し、今回、特別少年院仮退院後程なくから窃盗を繰り返して生活遊興資金を稼ぎ、遊び中心の生活を送り、遂には殺人という重大犯罪まで繰り返すに至っているものであり、殺人の犯行は、動機が偏執的であり、態様が残念非情であるなど、その性格や行動傾向に猜疑心が強く、情性や共感性に著しく乏しいことが窺わえる。

しかしながら、被告人は、これまで精神疾患の病歴がなく、学校、家庭裁判所、鑑別所、少年院での生活記録、社会調査、鑑別結果等をみても、精神疾患を疑われたことが全くないし、家族にも精神疾患に罹患した確たる証拠もない。被告人の母親は、当審において、父親が精神疾患の手当てを受けたことがあるとか、被告人に微細損傷の疑いがあるとか、かつて精神科医師の手当てを受けたことがあるかの如き供述をしているが、誇張した供述が多く、他の関係証拠に徴しても信用できるものではない。

また、各犯行の経緯や動機には、甲野太郎については、同人が被告人から二〇万円を盗んだとしてその返済を求めたが、弁償約束はしても何としても返済しようとの態度がなく、却って、甲野が被告人の意に反して被害者を殴打した窃盗(強盗)事件について、警察に捕まったときはこれを被告人のせいにして警察に話す(チクる)こともできるなどと居直ったことなどにいたく立腹し、強盗の責任をなすりつけられるよりは殺した方が刑が軽いとの被告人なりの打算に基づいて犯行に及んでいること、乙川母娘については、ナンパした長女乙川花子との交際を、その後断られた後も執拗に求めつづけたことが原因して、これを拒絶する同女やその家族から罵声を浴びせられるなど侮蔑的に対応された挙げ句、一一〇番通報されるなどしたことに憤激し、報復として乙川一家皆殺しを目論み、少年院仲間の丙山次郎を誘って犯行に及んだものであること、丙山については、乙川母娘殺害後逃走中丙山が裏切りそうな行動をしたことから、丙山を殺害することにより犯行の痕跡を隠滅しようとしたものであることなど、いずれも被害者に対する憤激、増悪、報復の感情(甲野、乙川母娘)や犯行発覚防止による自己防衛(甲野、丙山)などというそれなりの殺害の理由があり、十分了解が可能である。被告人も、捜査段階から、全く無関係な被害者を襲ったものとは違い、被告人なりの正当性があることを強く訴えている。

更に、各犯行は、これら動機に基づき、いずれも完全犯罪を意図しながら、冷静に、周到かつ綿密な準備の上になされた計画的なものであり、殊に、甲野殺害後、捜査当局からの甲野事件の追及を上手く切り抜けてからは、完全犯罪への自信を深め、更に準備等を徹底させていったものである。そして、犯行に当たっても、例えば、四囲の状況に十分配慮し、甲野、丙山については嘘を言って人気のない犯行現場に連れだし、乙川方については叫び声等が聞こえにくい付近人家がテレビを付けている時間帯を選び、新聞配達員を装い警戒心を解くなどしているもので、巧妙であり、実行に当たっては何ら躊躇することなく、沈着に、大胆かつ執拗に殺害行為に及んでいる。これら犯行が発覚すれば死刑になりうることも十分自覚しており、結果の認識にも誤りがない。加えて、各犯行後も、入念な罪証隠滅工作を行い、逃走している。そのため、捜査機関は精力的に捜査し、資料を収集して被告人が犯人であるとの強い疑いを得ながらも、結局は、自白を得るまで、決め手を得られない状況ですらあった。

被告人の記憶についても、各犯行時の意識は清明であり、詳細に犯行状況を記憶しており、不自然な欠落は認められない。

なお、甲野殺害後無免許運転で逮捕、勾留された際、甲野殺害犯人として疑われて追及もされたのに、狡猾弁解を弄して言い逃れており、また、別件脅迫容疑で逮捕、勾留され、乙川母娘殺害事件の追及をされた際も、いい加減なことを言ったり、歌を歌ったりして相当期間しらを切り続けている。

以上の諸点に徴すれば、被告人の性格等に特異な傾向は窺われるけれども、責任能力を疑わしめるような点は認められない。

弁護人は、各犯行は、甲野事件では、合理的理由もなく猜疑心に結び付け、その感情に支配されるという被告人の異常な性格から出、乙川事件では、侮辱的言動を受けながら、執拗に花子らとの接触を続け、自己の感情を殺害にまで追い詰めていく行動は異常であり、殺害態様も感情に支配され到底常識では理解できないものであり、丙山事件では、常識では考えられない猜疑心による犯行であるなどとして、これらが被告人の精神異常を示している旨主張する。

しかしながら、各犯行は被害妄想的な猜疑心に支配されたものではなく、了解可能な動機があることは前記のとおりである。乙川事件の殺害態様が残酷なのは被告人の憎しみの強さを示すものとして了解できるし、なお、乙川一家とは関係がなく、責任能力に問題が窺われない丙山が被告人から殺害意図を打ち明けられて簡単に賛同し、被告人に協力すべく現実に凶器を携えて乙川母娘殺害現場に同行していることは、被告人や丙山らの感覚がそのように軽桃なものであったことを窺わせるのであって、決して精神の異常に基づくものではないことを示している。被告人は、共犯者がいたとはいえ、乙川母娘三名の殺害行為自体は丙山の手を借りることなく、単独で敢行しており、続いて旬日の内に丙山まで殺害していることは、常軌を逸したものではあるが、甲野殺害の経験を経て殺人への抵抗感等が薄らぎ、また前記経緯から完全犯罪への自信を増長させたことが影響しているものと看取されるのである。

弁護人は、起訴後の被告人の言動に異常な点があるとして、これが精神異常を示すものである旨主張する。

しかしながら、被告人は、拘置所職員に嫌がらせがあるなどとして原審時から公判廷の内外において異常な言動をするようになっているが、これは犯行時から存したものではなく、起訴後に生じているものであって、拘禁の影響によることが認められるのであり、本件各犯行当時の責任能力が左右されるものではない。

以上のことは、当審における山上皓医師がした精神鑑定によっても、裏付けられこそすれ、左右されるものではない。すなわち、山上医師作成の精神状態鑑定書及び同医師の当審公判供述(以下、山上鑑定という)によれば、被告人には器質性精神病はなく、元来の性格に顕著な偏りがあり、アメリカ精神医学会診断基準によれば「反社会性人格障害」、クルト・シュナイダーの類型によれば情性欠如型、意志欠如型などの類型を複合する異常性格と診断されるが、とくに病的な精神状態にあったとは考えられない、被告人は、現在は、右のような人格偏倚に加え、詐病的色彩を伴う心因反応の状態にあるが、これは、器質性精神病とは異なり、拘禁によって生じた精神異常であり、被告人の現実検討機能には減弱が認められるが、著しい程度のものではない、というのである。

山上鑑定は、その手法に格別問題がなく、内容的にも、前記犯行の経緯、動機、態様、犯行後の状況、起訴後の異常な言動を統一して合理的に理解できるのであり、肯認できる。そして、山上鑑定によれば、所論が指摘する起訴後現出した被告人の異常な言動は、拘禁によって生じた精神異常と理解できるのであり、犯行時の責任能力に関わるものではないと認められる。

なお、以上に指摘した点のほか、原審では、被告人を含めた訴訟関係人から精神鑑定の請求もなかったことに照らせば、原裁判所が職権で精神鑑定を行わなかったからといって、審理不尽があるとはいえず、訴訟手続の法令違反があるとは認められない。

その他、弁護人がるる主張する点を検討しても、責任能力を認めた原判決の認定に誤りはなく、また、その訴訟手続に審理不尽の違法も認められない。論旨は理由がない。

第四  控訴趣意第四点について

弁護人の所論は、要するに、被告人を死刑に処した原判決は、刑の量定が不当であるので、その破棄を求める、というのであり、これに対する検察官の答弁は、原判決の量刑は相当であるというものである。

そこで、原判決の量刑の当否について検討する。

1 本件は、少年院仲間として気の合った甲野太郎と共謀し、あるいは単独で、昭和五六年五月一八日ころから昭和五七年五月一二日ころまでの間、前後一〇回にわたり、引ったくりや事務所荒らしをし、現金合計だけでも三二一万余円を窃取したという約一年の間になされた一〇件の窃盗事案(原判示第四)及び、この間あるいはその後、それぞれ前記第三記載のような動機から、まず、昭和五六年一〇月六日未明、甲野太郎(当時二〇歳)を包丁、くり小刀で多数回刺して殺害し(原判示第一)、次いで昭和五七年五月二七日、少年院仲間の丙山次郎を誘い、乙川一家皆殺しの意図のもと、藤沢市内の乙川方に在宅していた乙川花子(当時一六歳)、その母親の春子(当時四五歳)、妹の夏子(当時一三歳)を、包丁、くり小刀で次々と刺して殺害し(原判示第二)、更に、同年六月五日、尼崎市内のマンション踊り場付近において、丙山(当時一九歳)を二本のくり小刀で滅多突きにして殺害した(原判示第三)という僅か八か月の間になされた三件五名に及ぶ殺人の事案である。

2 被告人は、昭和五六年五月特別少年院を仮退院したものであるが、その後間もなくから窃盗を繰り返す傍ら、殺人という重大犯罪をも繰り返している。殊に、乙川母娘、丙山の二件四名の殺害は、僅か一〇日の間になされたものである。如何に憤激や報復の意識が強かったにせよ、また、犯行発覚をおそれたとはいえ、この種殺人事件としては、犯行の期間、回数、被害者の数、どれを取ってみっても異例であり、その罪責は余りに悪質、重大といわざるをえない。

弁護人は、甲野については、被告人の主観においては、前記経緯から甲野を殺す以外に自分を冤罪から守るほかないとの一種の正当防衛から出たものであり、追い詰められた心境にあったし、被告人から二〇万円を盗み出すなどし、その後その弁償などを巡り居直るなどした甲野にも小さからぬ落ち度があるなどという。

また、乙川母娘については、乙川母娘ら、特に、長女花子の被告人に対する長期間にわたる行き過ぎた言動が大きく影響しており、殺害の動機に酌むべき点が少なからずあるし、犯行も、二日前に丙山と会い一緒に乙川母娘殺害を決めてから、潜在的な殺意が一気に顕在化して、初めて準備を進めた杜撰なものであり、それ以前の凶器の準備等は計画的なものとはいえないのであり、犯行も衝動的なものであるという。

更に、丙山については、その殺害動機は、単に口封じの目的のみでなく、むしろ、丙山が、被告人をして更に犯罪は犯さねばならないように追い込み、逮捕されるように仕向けたと思い込んで丙山に対する猜疑心を抱いたことになり、防衛的動機が最大の理由であり、犯行も計画性に乏しく、極めて稚拙かつ杜撰で場当たり的な犯行というほかないという。

このように、弁護人の所論は、各被害者にも落ち度があるとか、犯行は杜撰かつ稚拙で計画的ではないなどとして、原判決が動機が自己中心的で身勝手であるとか自己保身であり、犯行が用意周到な計画的なものであり、冷酷非情であるなどと認定、説示しているのは誤りであるなどと主張する。

本件被害者は、いずれも被告人と関わりがあり、これら殺人の動機について被告人なりの言い分があり、また、被害者側にやや配慮を欠いた点が全くなかったわけではない。被告人は、盗みを重ねる中でも、強盗は重いとして強盗にならないように気を使い、また、不良交遊中心の生活を送りながら、健康を気づかい、覚せい剤等の薬物や飲酒、喫煙を避けるという功利的な判断と行動を取っている。本件の各殺害動機は前記第三のとおりであり、甲野の殺害や丙山の殺害動機はこのような思考方法を反映しており、反面、乙川母娘に対する増悪がいかに凄まじいものであったかを示している。

しかしながら、各殺害動機には同記載の被告人の性格特性や偏執性を反映した極めて自己中心的、利己的な思い入れが色濃く反映しており、余りに身勝手極まりない短絡的なものといわざるをえない。いずれの被害者も殺意に導く程の落ち度があるとは認めがたく、殊に、乙川母娘は、被告人が自宅まで押し掛けるなどして余りに執拗につきまとうために厳しい対応に出ざるをえなかったのである。

また、犯行は、計画において完全犯罪を企図した用意周到なものであり、かつ、実行においては強固な殺意に基づき全く逡巡することなく迅速果断に行動しており、傷ついて逃げようとする被害者を追いかけ、あるいは血の海の中で虫の息の被害者に止めを刺すなど執拗、冷酷を極めたものであって、残忍非情である。更に、犯行後も徹底した罪証隠滅工作をしており、別件脅迫で逮捕された後の厳しい取調べにおいてもしらを切ってはぐらかそうとするなどしている。

そうしてみると、原判決の認定、説示に誤りは認められず、弁護人の主張は採用できない。

なお、弁護人は、乙川母娘殺害に関し、被告人は乙川一郎まで殺害することは意図していなかった旨主張するが、その所論に沿う被告人の原審公判供述部分は、被告人が一家皆殺しを意図した旨の捜査段階の自白やその内容と対比して信用しがたく、信用性の高い右自白によれば、被告人らは乙川方に臨み一郎が帰宅していないことを知って暫しその帰りを待っていたということや、殺害そのものに丙山の加担がないのは、事前の言に反し、いざ殺害の段階になり、丙山が怖がって行動できなかったというのであるから、この点の原判決の認定にも誤りは認められない。

3 五名もの貴重な人名を奪った結果が余りに重大であることはいうまでもない。各被害者のうち、乙川母娘については、春子は主婦として家庭を支え、花子、夏子は多感な高校生、中学生として将来に夢を馳せながら平穏な家庭生活、学校生活を送っていたものであるが、夕げの最中に突然の凶行に遭い、無防備のまま恐怖と苦痛のうちに共々非業の最後を遂げたのであって、その無念さは察するに余りある。また、甲野、丙山についても、いずれも非行により少年院で被告人と知り合い、本件では窃盗あるいは殺人の共犯者になるなど、素行が芳しくなかったとはいえ、いずれも二〇歳前後の将来ある青年であり、更生の可能性も十分あったのである。同人らの無念さも察するに余りある。

そして、各被害者の遺族、殊に一度に三名の家族を失った乙川一郎の受けた衝撃は筆舌に尽くしがたく、同人らが極刑を含めた厳しい処罰を望んでいるのも当然のところである。

加えて、甲野の殺害は平穏な田園地帯で、乙川母娘殺害は平穏な住宅街の安全であるべき自宅の夕食時に、丙山殺害は駅近くのマンション踊り場付近で、それぞれ敢行されたものであり、地域住民に多大の不安感や衝撃を与えており、社会に与えた影響も重大である。

4 被告人の反社会性や性格は前記第三のとおりである。本件殺人の犯行は一見従来の非行等とは異質のようにはみえるが、犯行内容と併せみれば、長年にわたる甚だ不良な生活状況を基底として、このような凶悪性を醸成し、身につけたものとみてとれるのであり、その反社会性、犯罪性向は顕著で根深いものといわざるをえない。

弁護人は、被告人の成育歴をみても、幼少時から孤立し、周囲からの、迫害とまで言うほどの凄まじい苛めにあい、自らも危害を加えることがあり、ますますその孤立を深めていく中で、激しい猜疑心や被害妄想を育てていったものであり、両親、学校、矯正施設等の関係者により健全育成のための努力がなされたが、適切な養育がなされなかったり、被告人の特性を十分に見抜いた指導を行っていたとは認めがたい。このような点を考慮すると、原判決は、少年院等の矯正教育を受けながら十分な社会性を備えなかったことを捉えて、その反社会性には強固で根深いものがある旨の指摘は当たらないのであり、被告人が健全な発達成長を遂げることなく、十分な社会性を身につけることができなかったのは、被告人の不幸な成育歴が多大な影響を及ぼしているのであり、この点は量刑上十分考慮されるべきである旨主張する。

関係記録によれば、所論が指摘するような点がないわけではない。また、中学生時代長期間新聞配達に従事し、また、学校卒業後あるいは少年院仮退院後、短期間とはいえ職についており、一時的にせよ被告人なりの努力の姿勢がなかったわけではない。しかしながら、先に指摘したとおり、結局は身勝手な行動に終始して、更生に努める意欲や努力が欠如していたことも否定しがたい事実であり、その反社会的性向等には相当に根深いものがあると認められるのであるから、原判決の右説示にも誤りはない。

更に、弁護人は、原判決は、被告人が犯罪能力において人並み以上のものを有しているとし、自己中心的で社会的に未熟な性格異常者であり、その反社会性には強固で根深いものがあると断じて、被告人の精神的能力に何ら言及しないまま、被告人の反社会的性格の改善は至難であるとしているが、被告人の責任能力については、前記の主張のとおり幾多の問題があり、心神喪失や耗弱には至らないとしても、その精神的能力は極めて未熟であり、責任能力の程度が極めて低く、精神的能力が未発達の段階になることに鑑みれば、なお、性格改善の可能性が十分残されているというべきである。そして、被告人は、原審公判開始後約三年半にわたり犯行を否認等していたが、原審第四一回公判で反省の態度を示し、犯行を全面的に認めるに至っているが、否認等は精神的未熟さから出たものであり、このような被告人が犯行を認めるに至ったのは長足の進歩であり、なお、原判決後、窃盗被害者のうち一名の女性に対しても謝罪の手紙を弁護人に託すに至っており、精神的成長の兆しが窺われる旨主張している。

前記第三のとおり被告人の性格には顕著な偏りがあり、これが本件犯行を含めた被告人のこれまでの行動に大きく影響してきたことは明らかであるし、これを一人被告人のみの責任に帰することもできない。また、被告人自身、捜査段階で、当初否認を通しながら、一旦自白に転ずるや、詳細に自白して捜査に協力的態度を取っていることは、単に大それたことをやったとして自慢するだけでなく、やはりやり過ぎたという反省、悔悟の思いの現れとみて妨げがない。また、原審公判に至り否認を通していたが、その後公判自白をするに至り、率直に反省、悔悟の態度を示すに至っていることや原裁判所で死刑判決を受け控訴中の平成三年四月二三日控訴取下書を提出したのも、拘禁反応やその抑制のための投薬の副作用のせいだけではなく、余りの罪の深さと重さを自覚した被告人の良心の懊悩を示すものとみることもできるのであり、精神的成長や改善更生の兆しとみられないわけではない。更に、被告人は、原審公判で自白した前後も、取調べ警察官による暴行を訴え続けていることや、現在においても、本件事件のことや取調べ状況については有利不利を問わずノーコメントなどの言辞を繰り返して答えず、その真意を推し量ることはできない状況にあるが、これらをもって反省の情がないとみることも相当ではない。

しかしながら、前記第三の点を含め、前記説示の諸点に照らせば、原判決の認定、説示は基本的に是認できるところであるし、五名もの貴重な人命を奪った被告人の罪は余りに重く、右に指摘した勘酌すべき点を十分考慮しても、その刑事責任は重大というほかない。

5 弁護人は、原判決は、責任非難の程度において、連続射殺魔事件の永山則夫と比較して勝るとも劣らぬものがあるとしているが、殺害の動機、被害者の落ち度、事件の数、社会的影響、犯行後の情状、その他、被告人の精神的能力や成育歴等を考慮すると、その比較に当たり重大な誤りを犯している旨主張する。

しかしながら、永山被告人の事件とは個別事情が異なり、単純に比較できるものではなく、原判決が永山事件に言及したのは、同事件で言及された最高裁判決の基準に照らしても死刑に値する非難を免れないとするにあると認められるのであり、上記説示の点からみて、原判決の右認定に誤りは認められない。

6 前記のとおり、被告人は、原審で死刑判決を受けて控訴中の平成三年四月二三日控訴取下書を提出し、これを受けた当裁判所は、事実調査の上、平成四年一月三一日控訴終了宣言決定をしたが、弁護人から異議が出され、平成六年一一月三〇日異議申立ては棄却されたものの、更に特別抗告がなされ、最高裁判所から平成七年六月二八日原決定及び原決定が取り消されて当審に差し戻されたため、審理を重ねて終結に至ったものである。関係記録をみると、本件は、被告人の犯行を示唆する証拠はあるとはいえ、その自白をまって始めて決め手を得た経過を辿っている。その過程で警察官により厳しい取調べがなされたことが窺われるところ、公判自白がなされている本件においては、犯罪の成否自体には影響しないにしても、警察段階でなされた自白、そしてこれを受けなされた検察官の自白の任意性の有無は、態様によっては本件量刑の帰趨を左右しうるとする見解もありうる。当裁判所は、このような点や従前の審理経過を踏まえ、法に従い、慎重に審理を重ね、かつ、合議し、前記第二のとおりその任意性を是認するに至った。

しかるとき、本件の犯情等は以上に指摘したとおりである。かかる諸点に鑑みると、その罪責はまことに重大というほかなく、罪刑の均衡の見地からも、また一般予防の見地からも極刑が止むを得ない場合に該当するとして、乙川母娘及び丙山に対する殺害の罪について各死刑を選択した上、法令に従い被告人を死刑に処した原判決の量刑はまことにやむをえないものであり、不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

第五  結語

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒木友雄 裁判官田中亮一 裁判官林正彦)

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